コットンハリウッドの歴史

約150年の歴史を誇る、横浜の手芸用品店

ファブリック&ホビークラフトショップ コットンハリウッドの歩み

当社の歴史は、今からさかのぼること約150年前に遡ります。明治政府が発足してまだ間もない1870年代初頭、数年に渡って北陸東北地方に冷害が襲い、その為米不足による飢饉が深刻となり各地で暴動が多発していました。

そんな不安定な時代1877年(明治10年)小学校を卒業したばかりの初代高瀬清太郎は12歳で石川県能登半島羽咋の高浜という小さな漁師町から飢饉で苦しい家の口減らしの為、遠い親戚を頼りに当時外国貿易の中心であった横浜に羽二重・絹織物仲買問屋の丁稚奉公として働きに出されたことから始まります。

 

当時口減らしは家に捨てられたも同然、帰るところの無い清太郎は、寝る間も惜しみ働き独立資金をため、1881(明治14)年わずか16歳にして生糸の荷揚げ・卸販売を営む小さな「高瀬 商会」を大桟橋近くで起業したのが当社の創業となります。
ただ、卸販売などとは体裁の良い言い方で、初めのころは主な仕事は力仕事を中心とした横浜の大桟橋からヨーロッパに輸出されるシルクの荷出しを主な業務とした力仕事だった事です。


その後、事業は順調でシルク景気に乗り、卸販売の業務が忙しくなり、生糸貿易で財を築いた清太郎は、故郷高浜の材木大問屋、南家から次女きよを次男孝平の嫁に向かえ、会社を2代目孝平に譲り、妻きゅうと共に長男の待つ能登に戻ります。

孝平は、当時まだ一部の人しか行っていなかった大学(慶応)まで卒業し、清太郎から受け継いだ貿易会社を経営する傍ら、今で言う経済アナリストのような仕事をしていましたが、関東大震災・太平洋戦争という激動の時代の中、戦時中も横浜の生糸協会の仕事をしながら細々と商売を続けました。

戦時中孝平ときよの5人の息子の内、3人が徴兵され、長男誠之助は海軍(イ-9号潜水艦一等無線士)、次男誠次は、海軍(一等造船技師)三男誠也は陸軍に徴兵されました。

長男誠之助はキスカ島救出作戦中にアツツ島沖で戦死し、次男誠次と三男誠也は無事帰還し、誠次はその技術を生かし三菱重工造船に就職しました。

 

3代目となる三男誠也は、戦地から戻ると直ぐ、横浜でインド人が経営する「アイザック商会」に入社し服地取引を学び、そこで資金を貯め、1946年(昭和15年)暮れ、まだ学生だった四男誠吾、五男誠八郎と共に横浜伊勢崎町6丁目に店を移し、シルクのハギレなどを売ったりする中、横浜に駐留した米軍の兵隊にみやげ物などを一緒に売るスーベニアショップのようなことをしながら、高瀬商会を引き継ぎ再開しました。

「ハリウッド」という手芸店らしからぬ社名は、戦後経済が混乱し物資が不足し何も無かった時代、ある進駐軍の兵士に奥さんのパーティドレスを探していると言われ、うちの生地でよければと店にあったミシンで簡単なドレスを縫って差し上げたのが始まりで、当時日本にはご婦人の既製服が無かった為、あっという間に進駐軍の人たちに広まり繁盛しました。

参考にと当時は珍しかったアメリカのファッション誌を進駐軍のお宅から譲ってもらい、それをカタログ代わりに、お客様の要望を聞いて服やパーティードレスのオーダーを手がけました。

そこで、外人に覚えてもらい易い店名ということで「高瀬商会」から「ハリウッド商会」と社名を改めたのが、「ハリウッド」という生地手芸の店としてはちょっと変わった社名の由来です。

その後店は益々繁盛し1958年(昭和33年)には、伊勢崎町1丁目にビルを建て、1Fは婦人服地、2Fはオーダーメイド採寸コーナー、そして3Fには多くの縫い子さんを抱える縫製所のある本格的なオーダーメイド服地洋装店となりました。

60年代、本格的な戦後復興に伴い既製服の需要が高まり、1960年(昭和35年)婦人服専門店として婦人服総合メーカーのワールドの商品を扱う「おしゃれコーナーハリウッド」を四男高瀬誠吾が受け持ち設立、その後、横浜ジョイナス店・二俣川店などを出店しました。(現ハリウッドEC五代目社長高瀬誠)

婦人服地店としては、赤羽ダイエーショッパーズ店・港南台バーズ店を出店し、現在ハリウッド商会は、貸しビル業に業態変更して運営しております。(現ハリウッド商会四代目社長高瀬健)

現在の手芸店のハリウッドは、五男高瀬誠八郎が担当し、支店の一つとして1976年(昭和45年)新興住宅地として開発されたばかりの京浜東北根岸線港南台駅前に出店されました。

その後、1983年(昭和52年)港南台高島屋の出店に伴い、自然素材を中心とした生地手芸用品とオーダーカーテン・輸入雑貨の専門店「コットンハリウッド」として店名を改め、「布のある生活」をテーマに生地手芸材料の他、バックや婦人服などの既製品や、手づくりのイージーオーダーも受けれる店として「手作りの温かさ、楽しさ」を伝え続けています。(現四代目社長高瀬誠八郎)


現在は、JR港南台駅前・港南台バーズ店とJR東戸塚駅前・東戸塚西武館店の2店舗を営業しています。

またコットンハリウッドでは、1988年(昭和63年)から冬季限定輸入クリスマス雑貨専門店「横浜スイートクリスマスカンパニー」を設立し、「家族や大切な人と過ごすホームスイートクリスマス」をテーマに、大人が楽しめるクリスマスを直輸入のクリスマス雑貨の販売を中心に、住宅や店舗の出張ホームイルミネーションサービスや、ショッピングセンターや住宅メーカーなどからの依頼で、各種クリスマス講習(ハンドメイドツリー・ホームイルミネーション講座)などクリスマスを盛り上げる様々なサービスも行っています。

その他、2010年(平成22年)「女の子のくつろぎ」をテーマとした、ホームウエアーと雑貨・靴下のセレクトショップ「ライフオブハリウッド」(ダイエー港南台店・横浜ワールドポーターズ店出店、後に閉店)、一般住宅を雑誌や、CMの撮影スタジオにお貸しする、レンタルハウススタジオ「ハリウッドハウススタジオ」、CMや撮影用のインテリア用品を制作する「ファブリックマジック」、卸業務を行う、「ビバリーヒルズ」などの業務を行い、横浜で最も歴史のある生地手芸店として、現在に至っております。
現コットンハリウッド専務 高瀬清彦

横浜コットンハリウッド 港南台バーズ店